ドミナ(女王様)のリレーコラム第4弾
あなたにとってハードプレイとはどういうプレイ?
あなたにとってハードプレイとはどういうプレイ?
リレーコラム第4弾は「あなたにとってハードプレイとはどういうプレイ?」ハードにお願いします、ハードなのはだめです…よく使われるハードプレイという言葉。まずはドミナに聞いてみましょう。
千 - Sen
私にとってのハードプレイは マゾを人扱いせずに私の思うがままに好きなことをするプレイです。
最高のプレイね。
そもそも私はハードなプレイが大好きなので リンチ、罵倒、人◯無視、首絞め、三角絞め、踏みつけ等を思うがままに好き放題したい。 中でも特に罵倒とリンチが好きで リンチしている時は勿論罵倒が止まらないのだけれど(脳汁が溢れて仕方がない) 。
リンチ中、たまにいきなり優しくして、優しく話しかけながら往復ビンタ等して混乱させるのも好きなのよね。 混乱しながら勃◯している惨めな姿を見ていると笑いが止まらないわ。
優しくした後に冷たく突き放して究極に罵倒。それに対して 恐怖で涙目になりながら勃◯だなんて爆笑に決まってるわ。 いきなり突き放して、混乱している姿を見て楽しむのは私の癖なのかしら?
ハードプレイについて書くのが楽しくて 話がこのまま脱線しそうだわ。笑
こういう文章を書いていると今すぐにサンドバッグが欲しくてたまらなくなる。 マゾを思うがままにめちゃくちゃにしてやりたい。
私と趣向が合いそうなマゾ、お問合せして頂戴。好き勝手させて。
百華 - Momoca
ゆりな - Yurina
つかさ - Tsukasa
■「ハード(hard)」の意味、多すぎる問題
難しい、大変な、苦しい、激しい、厳格な、熱心な、つらい、きつい……。「hard」という単語を辞書で引いたときに出てくる言葉たちです。
意味が多い単語、それがゆえに「ハードプレイ」という言葉から想起するものも人それぞれ。それで良いと思うのです。
だからこそ「あなたにとってハードプレイとは?」という面白い問いができる訳で、ドミナによって答えも様々。そして、私もこの問いに非常に頭を悩ませているひとりなのです。
■つかさ的「ハードプレイ」の2つの定義 結論から言うと、私の中の「ハードプレイ」とは下記2点を満たしていることと考えます。
①伴走者がいてはじめて超えれる限界であること
②ささやかな達成感があること
■ひとりで決めた限界なんてないに等しい
ひとつは「ハードプレイ」は「伴走者がいてはじめて超えれる限界であること」と考えます。自分ひとりで決めた限界なんてたかが知れている。大概の人は保身的で甘えが生じていますから。「今日は腹筋30回」とか思って26回でやめたりしてませんか? 一本鞭を受けれる数を低めに見積もってませんか? 別にそれでもいいんです。大体はそういうものですし、いつだって自分に厳しくはいられないですから。
だからこそ、ひとりでは味わえない感覚をふたりの空間で堪能することに価値があるのです。自分で決めた軽率な限界をぶっ壊す伴走者こそが、いま貴方の目の前にいるドミナなのですから。
もちろん、この限界とは定量的なものに限りません。極度の潔癖である方が聖水や黄金にチャレンジする際に生じる精神的な苦痛や、嫌いだと思っていたプレイに立ち向かう際の恐怖心や羞恥心にも限界はあるでしょう。それは誰かと比較するものではなく、個人に属する基準。「ハードプレイ」かどうかは貴方と向き合ったドミナとともに分かち合うものでもあると思うのです。
■ささやかな達成感とは「心の中の小さなガッツポーズ」である
もうひとつは「ささやかな達成感がある」ということ。
生活のなかで「今日はハードだったな」という言葉を使うシチュエーションをイメージしていただきたいのです。学生時代の部活動で厳しく扱かれた時、思いもよらない仕事の量に追われた時、ドミナとのプレイを終えた時。「ハードだったな」の言葉を想起した時、そこにはほんの少しの「達成感」があるのではないでしょうか? 単純に苦しくて、辛い、しんどいだけのことであればそれに応じた別の言葉が出てくるはず。
「ハード」の言葉を思い浮かべる時には、そこに多大な辛さや苦しさ、厳しさがあろうとも、例えばやったことのないことに戸惑いを感じていたかもしれない。普段はNGにするようなプレイに向き合ったかもしれない。感じたことのない痛みにキャパオーバーしたかもしれない。その時はもう嫌になる程だったかもしれない。
けれど、思い返した時「ハードだったなあ」という言葉とともにほんの少しの喜びと達成感が伴っている。そこに至るまでの過程を自分は乗り越えてやったぞ! という「小さなガッツポーズ」があるような気がするのです。それが私の考える「ハードプレイ」だと思うのです。
澪 - Mio
京子 - Kyoko
その人が大事にしているものを奪う行為…でしょうか。 大事なものというのは人によって違うから、ハードプレイも人によって違うということです。
日常生活を大事にしている人がお相手なら、日常生活を脅かすような、例えば傷跡が残るような行為を。 身体より心を重んじる人がお相手なら、心を脅かすような行為を。 快楽を大事にしている人がお相手なら、例えば強い痛みによって感性を支配する行為を。
人によって、触られたくない部分は違うと思います。その触られたくない部分を触られる。その人にとって、安易には奪われたくないものが奪われる。 そういうプレイをハードプレイというのではないかと感じます。
ただ、SMは行為というよりも相手ありきな面も大きいかと思います。最初は無理と思っていた行為も、相手次第だったりするときもあるのではないでしょうか。
「貴女になら、今なら、奪われてもいい。」 「今なら貴方の深い部分を触らしてくれるよね?」
そう思い合えるような空間を共有できたら、冥利に尽きるというものです。
琴子 - Kotoko
私にとってのハードプレイは【お相手に私の痕跡を刻む】ことです。その痕跡が深くなればなるほどハードだと考えています。
そして、それこそが私が一番望んでいる行為。 例えば、鞄は卸したての綺麗な状態も素敵だけれど、ある程度使い込んで小さな傷が付いたあとのほうがより愛着が湧いたりするでしょう。それと一緒で所有欲が満たされる感覚が好きです。
付け加えておくと、【痕跡を刻む】というのは、ただ肉体に傷跡を付けたいだけではありません。(もちろん目に見える形でお相手に私の跡を刻むときの満足感は格別ですが……)
私は、あなたの中に私の居場所を作ってしまいたい。そして願わくば、末永くそこに巣食い続けたい。深く根を張って、あなたが一生私の影から逃げられないようにしたい。
最初はあなたの脳内のほんの片隅でいい。 セッションを重ねるにつれてじわじわと侵略し領土を広げ、気が付いたときには私のことばかり考えてしまうように調教したい。 痕跡を刻み込む方法はいくらでもありますもの。
以上、私にとってのハードプレイでした。
永遠 - Towa
雲雀 - Hibari
『これが答えです』といえる内容じゃない為、あくまでも私のSM観でお答えさせていただきますが、肉体に与える刺激・痛み・苦しみだけがハードではなく、言葉一つだけでもマゾに重くのしかかる事は出来ます。 その中でも、肉体と精神両方のボーダーラインを超えたプレイこそが所謂『ハードプレイ』なのかと。これが先ず1つ目に出た考え。
ですがね、例えば「自分はここまでしかできないから」と思っている相手が、いつもよりハードなプレイをやれた!とお互い達成感を得られるとします。だけれども、私はそこで終わりじゃないと思うのです。きっとそのハードな事を好み慣れ始めるかもしれない……。それは果たしてハードなのか。
そんな慣れた感覚から逃げ出すため、もっと【本能】を引き出さなくては。これが2つ目の考え。本能的に逃げたくなったり、何度もトラウマのようにふと思い出してしまったりする、そんな新鮮な感覚が慣れにより淘汰されては勿体無い。 ではここで質問ですが、貴方が今自覚している変態さは、もうそれだけですか?奥底に眠っている、まだ自分でも気づいていないものが、いつかセッションをしているうちに引きずり出される日が来るかもしれません。可能性は無限大だということをここでお伝えしたいのです。
ですが、支配する側と服従する側がいてこそ成立するSM。そのなかで身体的負担が明らかにかかる鞭、M格闘、黄金、水責めなどなど……見てるだけでもキツく辛いはずなのに、やられてる当の本人からしてみればまだまだいけることだってある為、支配側はより相手の限界値を見極めなきゃならない点です。 さらに言葉1つだけでも、相手の本質に触れるだけで子供のように泣きじゃくる者や、表情や仕草、態度が変貌する者などがいるため、道具が無くともSMは成立し 何かしらの言葉をトリガーに、本能的に揺さぶられてしまうのでしょう。
ところで1番大事なことですが、本能的になるような人間くさい戦いができるのは、絶対的に両者の信頼関係がそこに構築されてこそ。1歩ずつ歩かせていくことがBDSMだと思うので、ある日見つけた野良がふと気がついたとき、懐かれてしまい後ろをくっついてやって来た時には『とっ捕まえたぞ』とニヤつくわけです。 とにかくハードを好むなら、お互いのキャパシティのクオリティを更新し続け、いかに奥底に眠る本能を引き出せるか・又は引き出させられるかだと思います。私はハードプレイ、好きです。
ミア - Mia
トーカ - Tohka
かの者はハードプレイを希望しにトーカさんの元へきました。私はちょう良かったので少し殴ります。殴られたので彼は泣きながら出ていきました。「トーカさんは嫌な人だ」そして、殴る人がいなくなったのでトーカさんは殴るのをやめるのでした。不公平を味わい、不幸せな大人になるのです。
ハードプレイってそうゆうことです。そもそも短い人生です。未来はありません。既に人生がハードモードなのです。差し出がましいようですが、ハードを希望した時点でそれはご褒美なのではないのでしょうか。けれども、ハードかどうかを気にしてプレイをなさるお方は、上だとか下だとか勝ちだ負けだを考えていそうなので、既に中々な不条理を味わっていると思いますので好感に値します。
世界の残酷さを考えた上でハードプレイ希望して欲しいモノです。ハードを味わいたいのなら、外の世界に対して1秒も気を抜かない事をオススメ致します。地球はやばいところなんです。
鳴海 - Narumi
皆様、御機嫌よう。鳴海です。まず、ディスカッションにて良くM方さん達が仰る「ハードなプレイは出来ません」という前置きについて、私が感じている印象を書きます。ハードプレイが出来ないと言う事でご自身の身体を過剰に痛めつけられてしまわないように予防をしている方。ハードプレイが出来ないMはつまらないとドミナに思われるのではないか。あるいはハードなことが出来ないなんて、自分はマゾとして駄目なのだ。などと、ご心配をなさっている方も良くいらっしゃいます。上記の全ては懸念に過ぎませんので、どうかご心配なさりませんよう。私はセッションに置いて、貴方の嗜好のタイプがソフトかハードなのかよりも、貴方がどんな方なのか、何を求めてここにいらっしゃっているのかを大切にしています。
次に、私は何をもってハードなプレイだと思うのか。
一般的は過度な苦痛を与えられることがハードプレイと言われておりますね。しかし、私は相対しているお相手の『キャパシティを超えるプレイは全てハードに相当する』と考えています。貴方の肉体あるいは精神的に余裕を持って受け止められる一歩先。 そこへ私が踏み込んだ瞬間が、貴方にとってのハードなプレイとなるのです。耐えがたい苦痛を受けることもそうですが、精神への責め苦、許容を越える程の快楽などもまた貴方を苛む手段となります。受け止めきれないと感じた一線を私に越えられる時の、ひりつく緊張、震えの走る恐怖と微かな期待。そこを越えた際に湧き起こる昂揚と開放感、そして残る充足した達成感を、全てのM側の皆様に味わって欲しいと思っています。その際には、私も同様の感情をS側から抱いています。ですので、私は貴方の一線を越えるハードなプレイを好んでいます。
最後に、私がこのテーマにおいて一番重要に思っている事をお伝えします。
必ずその一線を越えなければ良いセッションにならない。無理にハードな事をやらなければいけない。という事ではないのです。 楽しめる範囲の事を楽しみ、そうして互いへの理解を深めてゆくセッションも私にとって楽しい事です。(とは言いつつ、胸の内でいつか貴方の貴方の奥底に眠っている真のM性まで引き出せる日が来るのを目を光らせて狙っていますよ)そうしてセッションの流れに身を任せるうちに、自然とその境を越えるタイミングが来るのです。多々起こることですが、それは貴方と初めてのセッションの日に訪れるかもしれません。そして更に先への道が拓けるのも素敵なことですね。待ち遠しくて堪らないその瞬間になりましたら、貴方を必ずその一歩先へと導きます。ソフトorハードの価値観に捕らわれず、私へとその心身を委ねて下さいね。ゆっくりと山を登るかのように、共にBDSMの世界を楽しみましょう。
以前とはまるで違うご自分になっていると気が付いた時、きっと貴方の胸は甘く満ち足りていることと思います。
じゅん - Jun
ハードプレイとは?。 これはある意味、永遠の問いでしょう。 しかしプレイから思考を重ねていけば、自ずと共通の答えが見えてくるのではないでしょうか。 お互いが感じている感覚こそ真であり、定義は各々の心中にのみ存在する、ということ…。
ですから、今回はあくまで私自身にフォーカスしてお話ししたいと思います。プレイでは相手の限界を探りながら、ドミナ側も自らを『解放』していく過程があります。私の場合では、その解放の程度がハードさを生んでいるのではないか、と今のところは考えています。私は職業柄、相手の弱さや限界に寄り添おうとする傾向が強いようです。その弱さに共感し、物事を相手の受け入れやすい形へと変換するこの性質は、当時最大の強みとなりました。この共感は相手にとって心地よく、もしかすると慰めになっていたのかもしれません。しかし、それはただそれだけのもの。
ふと、自らが辿ってきた道を振り返って考えることがあります。その苦痛を想像するが故であろうと、こちらでボーダーを決めて乗り越え易いように道を整えてやる行為を人は望んでいたのだろうか…と。プレイにおいて私が最も悦びを感じるのは、相手の丸裸になった感情を全身で感じる瞬間です。惨めったらしく甘えても、澄まして取り繕おうとも。どんな時も貴下自身であれば、それは私の悦びとなる。それが相手にとっても同義であれば、今までの私は人を侮っていたのではないか。相手に何も望まなければ、優しくて物分かりの良い少女のままでいることができるでしょう。
想像の範囲内で収まれば、相手を安心させられる。しかし、これらはどれも人と向き合うことではない。敬意を持って向き合うならば、私はありのままでぶつからなければ。だから、私は貴下に期待します。私の身勝手で我儘な願望を叶える道具としての役割をこれから貴下は負うのです。貴下がその大きすぎる期待の為に、苦しみ悶えたとしても、それは私の知ったことではない。私の踏みしめる道、その土塊となれることに感謝しなさい。これが私の深層にあるもの。この本性の『解放』こそ、私のハードプレイです。
ルイ子 - Ruiko
それぞれの限界値は違うので、マゾにとってのハードはその人次第です。私もそれぞれのマゾの反応を楽しんできました。だからハードは人それぞれというのが1つ目の回答です。
それでも、私もマゾ達も「限界値」とは関係なく「ハード」という言葉を使っている時があります。何を基準に使っているのでしょう?私の基準はなんだろう?私は、苦痛の総量が大きい時に「ハード」だと思うようでした。例えば、お仕置きとしての鞭打ちの場合、同じ回数でも、拘束して打つよりも、自主的に体勢を維持させる方が私はハードだと感じます。肉体的痛み(鞭)にプラスして、体勢を維持する為に精神を酷使しなければいけないからです。
更にお仕置きをハードにする(=苦痛の総量を多くする)ならシンプルに回数を増やす方法もありますが、回数を伝えなければハードになると思います。同じ回数でも精神的苦しみはこちらの方が高いと思うからです。貞操帯の管理も、相手が自慰行為を頻繁にしている場合、痛みはなくてもハードなプレイだと思います。起きている間、もしかしたら寝ている間にも、ずっと苛まれ、だけれど命令には従わないといけないからです。肉体と精神と強さと時間と…苦痛の総量が大きいなと感じた時に私はハードだと思います。これが2つ目の回答です。
たまに「ハードなことができなくて、ごめんなさい」と言われることがあります。ハードが偉いわけではありません。量的にハードなプレイでも、限界値内余裕だと感じるマゾもいます。それだけではあまり意味を見いだせません。プレイや調教をしているうちに、リミットを越えた時には感動を覚えます。要するに、大事なのはソフトハードに関わらず2人のケミストリーです。それでも私たちが、個人のリミットから判断するハードと総量の大きさを満たしたハード、両方を超えることへ憧れを抱いてしまうのは「強い繋がりと思いを持った2人だからこそ辿り着けるんじゃないか」と想像するからなのではないでしょうか。
櫻子 - Sakurako
リレーコラムをご覧の皆様ごきげんよう。みんなの心に住み着く小悪魔♡櫻子です。笑
今回のお題は『あなたにとってのハードプレイ』つまらないことに、このお題に対する答えが1つしか思い浮かばない。それはもうとにかくありがちな、『個々の限界を越すべく、目的に向かって攻めつくすこと』であり、おマゾそれぞれ十人十色、限界ラインに差があるのは当然のことで、それを探り、見つけてつつくのがSMの楽しみの1つだと思っています。
…けれど、そんな答えはその辺のSM雑誌にも書いてありそうだし、きっとどこかの女王様も同じような事を語っているでしょう? 素直な顔して♡性根がひねくれてるので、そんなの答えるの超つまらない!と感じてしまいました。ここからは少し趣旨がズレますが、ハードプレイに対する私の認識がそれであるならば、『"私自身"の限界を感じ、それらを打破していくプレイ』について答えることにします。
それは、価値観の共有が難しいおマゾから素直に学ぶこと。もちろん私がドミナなので、理解しなくても良いこともあるのだけど、せっかく私の下に来てくれたのだから最大限そのマゾが良いとする世界の中に君臨したい。けれど、まだまだ未熟ですから理解しがたい特殊な性癖や価値観世界観に直面すると上手く乗れない時もあります。わからないまま、マゾの言いなりにはなりたくないし、いかに感覚を掴んで自分のものにするか、がとっても大事で難しい。乗れない世界観でのSMはある意味ハードです。
しかし、きっかけや考え方のコツを掴むと不思議なものでスルリと入り込めたりする。様々な方法で私自身に対してアプローチしてみたりするけど、実際きっかけが何かはそうなってみないとわからない。"わからない"に苦しみ、"わかる"を得られたプレイが満足度の高いハードプレイだった、と感じます。これからも、"わかる"を増やしていきたいですね。我こそは、というそこのおマゾ、是非とも私に正面からぶつかりに来てください。ハードプレイ、しましょ♡ - 櫻子
真珠 - Shinju
皆様ご機嫌よう、真珠で御座います。 今回のお題は、あなたにとって、ハードなプレイは?との事ですが、此方に関して、わたくしは、やはり人それぞれの主観だと思います。
ハードなプレイは、わたくしは対峙するお相手により、個々に変わると考えています。 例えば、ハードなプレイと言っても、肉体に一切傷をつけない場合も。そして、お道具を、一切使用しないハードプレイも、また御座います。ですが、それもその人、次第なのです。同じハードな責めをしても、Aはソフトだと感じ、Bは、ハードな責めだと思い、Cは、普通だと感じる様に。。人それぞれに感じ方が違うのが、現実です。
極端な例ですが、人によっては、わたくしが思う拷問のような責めにより、臀部や肉体が血だらけ、になったとしても、お相手の方にとっては、ハードなプレイではないと、仰る場合もあるのです。それは、彼らの思考や嗜好の上での、快楽による結果で、決してハードな拷問ではないのが事実なのです。想像力と、妄想、現実の肉体の感覚、視覚的や、聴覚的、触角的な、相互作用、その場の緊張感、空間の雰囲気、わたくしと、お相手との関係性により、全てが変わるのがリアルセッションです。
ソフトにも、ハードにも、お相手により全ては変わるからこそ、SMは興味深く面白いのだと、わたくしは思うのです。 ですから、「真珠様には僕なんて、ソフトで何も出来ないから、つまらないかもしれません」とおっしゃらずに、逢いにいらして下さいね。アナタは真珠様にとって、とても興味深いかもしれませんから♪ そしてアナタとわたくしの、SMを致しましょう。アナタの妄想を、ゆっくり聞かせて頂けたら、わたくしは嬉しいですわ。- 真珠より