じゅん - Jun
About Me
白衣の天使はお好きですか?
私にとってその制服は、宛ら白い拘束具でした。 この命は人の為にあると教えられ、幸せとは与えること、自己犠牲こそ私の幸せだとひたすらに信じてきたのです。それと共に、幼い頃から欲望の燻りを感じていました。火が燻る度に揉み消してを繰り返し、私はすっかりそれを飼い慣らしたつもりでいたのです。 しかしその火種はいつのまにかめらめらと燃え上がる大火となり、笑顔の仮面を内側から焼いていきます。 もういっそ、ここに身を投げてしまおうか。
そうして身を乗り出した時、既に私は天使ではありませんでした。罪の炎に薪をくべつつ、日々求めているのはガソリン。青く燃え上がって灰も残さないような、そんな時間を過ごしたいだけなの。。 - Aug.2019
For You
僕の人生には貴女がいなくてはもう生きていけないのかも知れない。 そう貴下は言うけれど、私だってもう戻れない。 どこにもいけない二人なら、ここで終わってしまえたら幸せでしょう。
日々強くなる加虐心を不可逆的な関係が加速させていく、その末路が破滅だったとしてもきっと私に悔いはない。 もっと抗って頂戴、どうせ貴下を飲み込んでしまう寸前なんだから。Jun - 2021
From LA SIORA
医療系の家系に育った元看護師、もちろんメディカルプレイはお得意。専門的なご要望はじゅん様にご相談下さい。メディカルプレイだけでなく、正統派BDSMや緊縛もお好きで幅の広いドミナです。 好奇心旺盛で、お道具やスキルの取得は入店時から熱心でした。入店時はショートヘアでボーイッシュなイメージでしたが、今現在は女らしさにも目がゆきます。(2019年6月入店)
MON | TUE | WED | THU | FRI | SAT | SUN |
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- 縛り: 基本的な型であれば可能、プレイでも好んで用います。スキルアップの為邁進中。
- 吊り: 講習中の為、今暫くお待ちくださいね。
- 一本鞭: 縄や道具と組み合わせた鞭調教が好みです。解剖生理を踏まえて身体に無理ない姿勢で行い的確な打点を狙います。
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セッションにおいて最も力を入れていることや重要視していること。
今セッションで最も力を入れていること…。
それは相手のレスポンスを待ってみる、ということかしら。私ってせっかちだから、会話をしていても次の答えを予想して、既に準備していたりするんです。そうやって次の手、次の手と考えているうちに、上の空論やら想像上の生き物になっていたり。結局なんの話だっけ…?これでは正しく水の泡。人魚姫もびっくりの本末転倒感です。
何でも筋道を立てて考えることは大切なんだけれど、それだけに囚われると味気ないですよね。レールから脱線して脱線して、そしてたどり着いた場所でしか見られない景色を見たいが為に、私はお前の反応を待つ。全く何の予測も立てず、頭の中を空っぽにしてお前を見据える。だから本気でガッカリするし、叱って、驚く。長いこと独りきりだった空想の遊び場にお前という玩具が投げ入れられたことによって、私は初めてお前の身体を認める。予測など全く無用の長物だったと喜ぶのです。
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SMに関してあなたが感銘した本、音楽、映画、アートなどはありますか?
こんにちは。 素敵なM紳士の皆様、いかがお過ごしでしょうか。 わたしはロマンポルノ映画が大好きです。 きっかけはもう思い出せないのですが、 芸術だからとかこつけて、えっちなビデオを 一生懸命観ていた記憶があります。
その中でも特に印象に残っている作品は、 神城辰巳の『女地獄、森は濡れた』です。 時は大正、殺人の疑いをかけられ逃げる少女に、ある洋館の女主人が声を掛けます。 一緒に住むことになりますが、そこはサド侯爵と女主人が、セックスと暴力で人を支配し 飼育する快楽の園だった…というあらすじです。
特に印象深いシーンでは、洋館に泊まりに来る客に少女を差し向け、襲いかかったところで侯爵と女主人が現れます。 拳銃を頭に突きつけながら「もっと腰を振れ!」と脅し、少女に跨る客の尻に鞭を浴びせる… 最後は上から、侯爵、客、少女の順に連結し、 サンドイッチのようになりながら果てるのですが、客が快楽に溺れ果てると分かると同時に 撃ち殺してしまいます。
客の血で染まった絨毯やソファの上で、 少女と侯爵と女主人が余韻に浸るシーンでは、 どうしても、野原に寝転び空を見上げる少年達の ような爽やかさを感じずにはいられませんでした。 わたしはこの爽やかさに、純粋な欲望を感じてしまいます。 自分の快楽のためならどんな犠牲も厭わない、 犯した過ちすら、その欲望を叶えるためならば 罪に問われないと思っている純粋な歪み。 SMの本質とはややずれてしまうかもしれませんが、目標は、その純粋な欲望に身を委ねて、 もうここがどこだかわからなくなってしまえたら 素敵だなあと思います。
ぜひわたしとそんな時間を過ごして下さいね。
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こんなところでSMしたい!あなたの理想のダンジョンは?
私にとって理想のダンジョン、それは純喫茶です。 花より団子とは言い得て妙、 三度の飯よりケーキ好きという、果糖中毒への道を ひた走る私には理想的な空間です。 更に珈琲まで頂けるのですから、通わない訳にいきません。 例えば、ブラウンで統一されたアンティーク調の店内。 気怠い指先でテーブルの木目をなぞっている、 私の一挙手一投足を目で追う貴下。
…なんて書いてはみたものの、本当は場所など何処でも良いのです。 以前ブログにも書いたように、私は露出狂の変態女。 密やかに行われる儀式も良いけれど、 人前に出てみたらどうなるだろうという思いが膨れて 近頃はもう我慢ならないのです。 とは言え、ただ行為を見せつけるだけのつまらない遊びは好みません。 一見するとよくある会話、その中へ不穏なひと匙を落とし込みたい。 ふたりにしか通じない暗号の網で絡めとって、 温かで柔らかに貴下を押し潰してしまいたい。 私と貴下、そして言葉さえあればその他には何もいらないと思うのです。
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日も傾きかけた午後、 目の前にはぬるくなった珈琲のカップ。 名前を呼ばれて目を上げた先では、微笑むじゅん様が ケーキをひとかけフォークに刺して此方に差し出している。 おずおずと顔を近づけるとどこか嗅ぎ慣れた匂いがするが、 この場では決して嗅ぐはずのない異臭である。 貴下は身を引いて首を振るが、じゅん様の強い瞳はそれを許さない。
「食べなさい。」
こんなところで…!焦る程に冷たい汗がシャツへと滲むが、グッと心を決め勢いよく口へ含む。 甘い。驚いて声を上げると、じゅん様はにっこりと笑う。 嗚呼、この人には敵わない。そんな休日はどうでしょう。
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あなたにとってハードプレイとはどういうプレイ?
ハードプレイとは?。 これはある意味、永遠の問いでしょう。 しかしプレイから思考を重ねていけば、自ずと共通の答えが見えてくるのではないでしょうか。 お互いが感じている感覚こそ真であり、定義は各々の心中にのみ存在する、ということ…。
ですから、今回はあくまで私自身にフォーカスしてお話ししたいと思います。プレイでは相手の限界を探りながら、ドミナ側も自らを『解放』していく過程があります。私の場合では、その解放の程度がハードさを生んでいるのではないか、と今のところは考えています。私は職業柄、相手の弱さや限界に寄り添おうとする傾向が強いようです。その弱さに共感し、物事を相手の受け入れやすい形へと変換するこの性質は、当時最大の強みとなりました。この共感は相手にとって心地よく、もしかすると慰めになっていたのかもしれません。しかし、それはただそれだけのもの。
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ふと、自らが辿ってきた道を振り返って考えることがあります。その苦痛を想像するが故であろうと、こちらでボーダーを決めて乗り越え易いように道を整えてやる行為を人は望んでいたのだろうか…と。プレイにおいて私が最も悦びを感じるのは、相手の丸裸になった感情を全身で感じる瞬間です。惨めったらしく甘えても、澄まして取り繕おうとも。どんな時も貴下自身であれば、それは私の悦びとなる。それが相手にとっても同義であれば、今までの私は人を侮っていたのではないか。相手に何も望まなければ、優しくて物分かりの良い少女のままでいることができるでしょう。
想像の範囲内で収まれば、相手を安心させられる。しかし、これらはどれも人と向き合うことではない。敬意を持って向き合うならば、私はありのままでぶつからなければ。だから、私は貴下に期待します。私の身勝手で我儘な願望を叶える道具としての役割をこれから貴下は負うのです。貴下がその大きすぎる期待の為に、苦しみ悶えたとしても、それは私の知ったことではない。私の踏みしめる道、その土塊となれることに感謝しなさい。これが私の深層にあるもの。この本性の『解放』こそ、私のハードプレイです。
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マゾに励ましの言葉/コロナ終息後に何をしたい?
気がつけば、すっかり夏の香りがします。 肌寒い春を嘆いているうちに青々とした草木のビビッドが感じられるようになりました。季節とはいつの間にか巡るものですが、こうしてゆっくり四季の移ろいを感じられる時間も珍しい。そんな想いから思わず、季節のことばかり綴ってしまいます。
最近の私はブログでもお知らせしている通り、ひとり遊びに勤しんでいます。 料理を作り、緑を愛で、日光浴をする。今はほぼ部屋の中で完結する植物のような生活をしているので、このまま動かなくなったら光合成にシフトしたんだと諦めて動物を引退するしかありませんね。笑 さて、収束後何をしたいかについてですが、正直特別な希望はないのです。なぜなら、未来の心配もあるけれど今ある状況や時間も楽しむことを忘れたくないから。
このパンデミックの影響で既に様々なことが変化しましたね。各国の対応から自国の状況(対応力から体質まで)が白日の下に晒されたような気が致しますし、勤務形態や生活スタイルが変容して、人に会う根本的な意味が問われるようになりました。我々にとっていちばん大きな変化は生活に関わることであり、それによるストレスも大きいことでしょう。これは生活を組み立てる要素の多くが習慣であるからではないかと考えます。習慣として身につけたものを変える為にはたくさんの労力を必要とします。 (セミオートにしたプログラムを再学習し直すとしたらかなり面倒ですよね。)
また変化後の結果の良し悪しは、初めて起こることであればわかりません。この先行きの不透明感が本能的な恐怖や不快感につながることがあります。その上、正論によって個別性を無視してしまうとより意固地になってしまうもの。 私の経験上、これは医療現場でも重視されていることであり、患者の生活指導が一筋縄でいかないのもこの為。患者の理解を促しつつ、グレーなところは許し、情緒的に支える…。
と、なんだかんだいって人の背中を押すのはいつも人の情ではないでしょうか。だから、今だって必要なものはきっとそれなのです。ブログでは様々な反響とお言葉を頂きました。ひとつひとつお返事したかったのですが、感謝と共にこちらで代えさせて頂きます。でも…あえて緩和後の希望をあげるなら海外旅行に行きたいの。タイ料理にハマっていることもあって今はスパイスが食べたい!美味しい料理が食べられる日を夢見て、今はお家料理に勤しみます。
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ドミナそれぞれのテーマ曲」は何?
乾いた落葉を踏みしめつつ、乱立する木々の間から人生を覗いている少女。大きくうねる木の根に足を取られながら、貴下の頬に触れようと手を伸ばす。その小鳥は既に冷たくなり始めているようだった。翼を半端に広げたまま、嘴を小さく開いている。反射的に見てはいけない、と思った。何故なら、祖母は私が動物の死骸に祈りを捧げることを禁じていたから。
「その同情は誰の為?」…そう言った祖母の他人のような横顔が思い出された。そっと小鳥を拾い上げると、小鳥は最後の力を振り絞って痙攣した。小鳥自身の意識はもう旅立つ用意を済ませていたのだろうに、そんな最後の場面で天敵の腕に抱かれているこの小鳥はきっと最悪の気分だろう。
やはり余計なお世話だったのだろうか。勝手に拾った癖に、何もできないとわかって拾った癖に。私は小鳥の渾身の反撃に動揺して泣いてしまいそうだった。どんな瞬間にも私は他者でしかない、小鳥の柔らかい羽毛はその事実を突きつける針の筵として私の掌を傷つける。最後の最後、貴下の弱みにつけ込んで、こっそりその心に触れようとした私の下心を見抜かれたような気がした。 小鳥の体は徐々に生を放出していき、やがて本当に動かなくなった。私の手は乾いた血液によって水分を奪われたような感覚に陥っていたが、塗れたこの血は一体どちらのものだったのか。
私はこんもりと落ち葉を集めて、その小鳥を埋めた。最後が私でよかったわね、貴下を生きたまま食べたりしなかったもの…。花の代わりに添えた言葉は何の味気もなくて、喉の奥に苦味だけが残った。これは通りすがっただけの私と、見つかってしまっただけの貴下のお話。気まぐれに手を出して傷を抉り合うような私の人生を、ひとは不器用だと形容するのでしょうか。それでも良いのです。この痛みこそ、愛なのだから。
セルジュゲンズブール "La chanson de Prévert"『プレヴェールのシャンソン(枯れ葉に寄せて)』
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いつの時代、どこへ行って、どんなSMをしたいですか ?
戦後直後、言論統制から解放された文壇はかつてない盛り上がりに湧く。 無くした時間を取り戻すが如く、新たな作品が次々と発表され、出版業界にも活気が戻ってきた。 戦争真っ只中、その思想に青春を捧げていたかつての少年は今や青年となった。 文筆家だけでは食えないながらも、期待の新星としてその頭角を現し始めていたその頃、青年は馴染みの編集者から奇妙な噂を聞くこととなる。 それは青年の作風とよく似た文章を書く文豪がいるというものだった。 折り目で印がつけられた雑誌のページを開いてみると、そこには今まさに自分が執筆しようと構想していた作品が掲載されていたのである。全くもって瓜二つ、書いた覚えがないのにこの文章は確かに自分の言い回しと表現のように思われる。
青年が驚きのあまり真っ青になって顔を上げると、その編集者は神妙な面持ちで首を振った。 編集者が集めた情報によると、当初は青年の熱狂的なファンのものかと疑ったが、そうではないとのことだった。 作者の顔を誰も知らないばかりか、誰もこの人に会ったことがないという。 編集者が友人づてに聞いた話によれば、いつも作品は月末ごろに大きな茶封筒にぎっちりと詰められて送られてきて、原稿用紙のマス目一杯にめろめろによれた文字が書き連ねられているらしい。 一見怪文書とも思しきそれは、読んでみるとその実何度も推敲されたかのような美しさで、結局一箇所も直すことなくそのまま掲載している。とはいえそれは結果論であって、封筒に同封されているメモ紙に「どこか一箇所でも変わっていたら連載をやめる」という旨が書いてあるからだそうだ。
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次第に彼が現在執筆中の作品までもを先回りするかのように発表されてしまい、青年は失意の中で絶望する。 自分が得るはずの名声を奪われ、そればかりか頭の中を弄られているかのような(虫が這いずり回っているかのような)不快感。 青年は必ず一度この男に会ってみなければならぬと決意した。 青年は男の住所を突き止めた。 男は東京のはずれにある、空襲を免れたらしい大きな屋敷に住んでいるとのこと。 青年は生垣から屋敷を伺ってみると、女が屋敷の目の前の道に打ち水を撒いていた。 女はちりめんの着物を着ていて、紐でその裾をまくっている。 細く柔らかそうな長髪をまとめ髪に結い上げて、伏し目がちな目元は長いまつげが涼しげだった。 青年は思いがけずその女から目が離せなくなった。
しばらく見ていると女は水を撒き終わったようで、屋敷の中へと戻って行った。青年はこの屋敷へと赴いた理由を思い出してハッとすると、慌てて着物の襟を整えて「ごめんください」と大きく声をかけると、玄関の引き戸がからりと開いて先程の女が現れた。 「あの、旦那様はおりませんか。お約束はしておりませんが、どうしても一度お話ししたいことがあるのです。」 青年はかねてから考えていた台詞をひと息で言ってしまうと、女の言葉を待った。 すると女はここに住んでいるのは自分ひとりだと言う。 青年は素頓狂な声を上げると、件の作家は貴女の主人ではないのか、とさらに尋ねたところ、女はにわかに唇の端を上げた。 そういうことであれば、と女は青年を屋敷の中へと招き入れた。
大きな客間へ通される青年。 女はお茶を出してひと口飲むと、あれは私のペンネームだと明かす。 驚いている青年に、女が文章を書いたところでまともに読まれる訳がないからそうしたの、と飄々と言ってのけた。 続けて青年が頭の中を覗かれているような不快感について尋ねると、女はニヤリとして「似ているのかもしれませんわ、私たち」という。 ふざけないでくれと言う青年に対して、女は秘密を知りたければ明日もここに来なさいという。 釈然としないまま青年は帰されるが、あの女の不敵とも思える微笑みが頭に張り付いて離れない。 そうして青年は女の元へと通うようになった。
というところまでがこの物語の冒頭。 流石にリレーコラムですからね、普段のブログのように書いていては文字数が足りない。 私がこのテーマを聞いて真っ先に浮かんだのはタイムスリップでした。 過去にタイムスリップしたら、一体何がしたいだろうかと考えたことは誰しも一度はあるはず。 そして過去に干渉して未来を変えてしまったらどうなるだろうか、ということも。 現在文豪と呼ばれている作家たち、その人物像や当時の生活はファンにとって非常に魅力的です。 もし、当時にタイムスリップしてその人の青春時代に干渉することができたら、私はきっとその文豪になりすまして本を出版しようとするでしょう。
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もしも、自分と全く同じ文章を書く人間がいるとわかったら、貴下はどう思うでしょうか。 文章に限った話ではない、同じ作品、同じ思想、同じ言葉など、自分のパーソナリティに関わる物事の全てを生き写したかのように網羅されたら。 ある種の薄気味悪さを感じ、強い恐怖感と嫌悪感が腹の底にべったりとこびりついたような心地になることでしょう。 そして同時に、強い好奇心も抱くのではないか、と私は考えたのです。 作品にはその人の生き方や価値観が強く投影されていますが、その複雑な心象風景を他人が完全に理解することは恐らく不可能でしょう。 その中で、自分が書いたとしか思われないが、全く書いた覚えがない作品が世に出回っていることがわかったら、その黒幕に興味を持たない筈がないだろうと考えたのです。
青年が興味を持って会いに行ってみたら、その人は思いがけず女だった。 至って普通の女に思われたが、執筆風景や背景については一切語ろうとしない。 青年は秘密を探究するために会い続けるが、いつの間にかその女が持つ不思議な雰囲気に魅了され始める。 そうして青春時代を捧げるほど青年がのめり込んだ時、女がこの時代の人間ではないことを知る。 女は現代から持ってきた作品全集によって青年の作品を丸々写していただけで、女が執筆していたわけではなかった。 絶望する青年に女はこう言い放つのです。 もはや私と過ごした時間を忘れることなどできないだろう、この出来事は一生貴下についてまわる影だ、と。 これは未来人に出会う彼の数奇な運命、作品を踏み躙られた怒り、全てを捧げた恋の終焉の話。
女の目的は青年を自分のものとすること。 しかし、人が思い通りになることなどありません。 どんなに言葉で縛っても、体の自由を奪っても、魅力で引き留めても、それは一時の遊びのようなもので、いつかは私の手からこぼれ落ちてしまうもの。 そんな永遠などないこの世界で私を刻み込むのであれば、それは記憶しかありません。 そして人生を支配するのであれば、思想に刻み込むしかない。 この先、青年はこの記憶を抱えて生きていくことになります。 誰に言っても信じてもらえないような突拍子もない現実をひとりで見つめながら、再びペンを握ろうとするかもしれない。 傷つけられた心を癒すために、また誰かと恋をするかもしれない。 そうして時間が経つにつれ、女の存在は薄くなっていくことでしょう。 しかし、ともに過ごした時間の中で獲得した思想や知識、もしくは思い出、それによって女に出会う以前とは確実に変わってしまった人生、その事実は青年が生き続ける限り残り続ける。
女はその代償として現代に戻ることはできません。 青年に見限られ、慣れぬ文化、見知らぬ土地でひとりきり生きることとなるでしょう。 生涯伴侶を持たなかった彼女の唯一の楽しみは青年の動向を追うこと。 新聞や雑誌、単行本、彼の作品を買い集めてはその人生の軌跡を指でなぞっていくのです。 そうしてあの頃一緒に過ごした記憶の断片が文章に溶け込んでいればいいなと微笑む、そんなことがささやかな喜びなのでした。
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もう一度やり直したい。後悔したセッションやマゾとの関係はありますか?
SM界に足を踏み入れて日が浅い私ですが、思い出すセッションは多くあります。
特にコロナ禍になってからは以前のように私の元へ来られなくなった方もいらっしゃるので、元気にしているかしら…と懐かしく感じます。 私が入店した翌年にはコロナへ突入してしまいましたが、キャリアの半分がコロナ時代というのはある意味で稀有な体験なのかも知れません。
‘’覚醒前‘’ともいえる一年目を見守ってくれ、かつ支えてくれた彼らには感謝しかありません。
思い返してみれば女王様というよりお嬢様といった風情でしたから、「もっと厳しくしてください」と懇願されることも多々ありました。 今ではすっかり聞かなくなったお願いですけれども、当時は「厳しいってなんだろう…?痛みを取り除く方法ならよく知っているのに…。」と悩んだものでした。
馬鹿馬鹿しいけれど、世間知らずな女の子にこの世界はあまりに刺激的だったのです。 今だって知らないことがたくさんありますし、やったことがないことばかりですが、あの当時よりは何かを掴んだんじゃないかしらと思っているのよ。折角こんな機会を頂いたので、思い出す貴下への気持ちを綴ってみたいと思います。
マゾ試験の貴下へ。 いつもこちらへ出向いくれてありがとう。
こんなご時世になってしまったけれどお元気かしら。あの当時、クリスマスは私を荷台に乗せてトナカイごっこをしたり、ピコピコハンマーで紙風船を割ろうと奮闘したりと、私を笑わせてくれましたね。慣れない私を気遣ってか、ざっくばらんな口調で揶揄ってきたり、ツッコミどころを自分から作ったりと、貴下の心配りを感じていました。
きっとこんなに畏まった文章は照れてしまうのかも知れないけれど、私は貴下との時間がとても楽しかったんですよ。SMというより変態遊びだから…という貴下のアイディア力や持ってきてくれるアイテムがいつも新鮮で、もっと知りたいと思っていた矢先のコロナでした。今の私はあの当時と全く違った人間に思えるかも知れないけれど、根本の心は変わっていない筈です。また玩具の拳銃で遊びましょう。
平手打ちの貴下へ。 お元気かしら。
コロナ禍に入ってからは一度こちらに出向いてくれましたね。貴下との出会いも強烈でよく覚えています。あの時は私のスカートをめくりあげようとしたんですよね。その後の激しい平手打ちと罵倒に感銘を受けたという貴下の変態さに、私は驚きと笑いが止まりませんでした。
しかし、貴下との出会いで私は自分の扉を開くことができたのだと思っています。貴下は私に理解して欲しいなんて全く思わないのでしょうが、貴下が抱えている他人への絶望や期待してしまう気持ちが痛いほどわかってしまったのです。他人に期待したい、でも誰もそれに答えられない。周りにいる人間が皆馬鹿に思えて心のどこかで見下しているけれど、自分だってできた人間ではないと感じて罰を欲してしまう。とはいえ、こんなに丁寧な言葉なんてきっと嫌いでしょう?
待ってんだから早くこいよ。びびってんじゃねーぞカス。
上司なのにM転する貴下へ。
貴下とは長い時間、様々な話をしましたね。どこか掴み所のないような雰囲気を漂わせていた貴下ですが、好きな分野について話すときの目はいつもより輝いていて。私はそんな貴下の様子を見ているのが好きでした。そうして夢中で話した後、話しすぎてしまったと言って気にしていたけれど、私はそんな風に思ったことなどありません。
貴下はきっと人よりも視野が広くて聡明であるが故に、無理解に晒される経験が多かったのではないでしょうか。なんでもそつなくこなせてしまう、人を容易く凌駕できてしまう、そんなギフトを生まれながらに授かった貴下がSMの世界に興味を持ったのは偶然ではなかったのだろうと私は思います。
甘え下手の貴下が見せたその柔らかい心を私は傷つけたのかも知れません。でもね、私は貴下が教えてくれた秘密を今でもたまに見返しているのよ。泡沫のように遊んでいたつもりかも知れないけれど、それでもこうして思い出している人間がいるということも忘れないで下さいね。
読んで下さる貴下方へ一人一人書いていきたいところですが、そうもいかないのが残念です。 こんなところに書かれたら恥ずかしいって言われても、会いにこないのがいけないのよ。 よく反省してください。
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あなたがSMプレイしたい有名人は?また、どんなことをしたい?
1880年代、ある印象派展で発表された彫刻作品が話題を呼んでいた。
それは全長140cm程の、少女を象った蝋人形である。
背中で緩やかに腕を組み、そっと右足を踏み出している彼女。
髪の毛は低い位置でひとつにまとめられ、空を仰ぐように上げられた顎と細められた眼差し、つんと尖らせた薄い唇からは彼女の幼さが表現されているようだ。
ほっそりとした長い手足と華奢な体躯からはしなやかな筋肉の膨らみが見てとれるが、下手をすれば痩せすぎているようにも思える。
作家であるエドガー・ドガは確信していた。
この作品が拍手喝采で迎えられ、賞賛される瞬間を。
ドガはフランス出身の印象派画家である。
彼の作品で有名なのは、やはりバレエを主題とした作品群だろう。
名前でピンとこなくとも必ず一度は目にしたことがあるはずだ。
劇中の一瞬や練習のひとコマを写実的に切り取った彼の絵画は、その圧倒的なデッサン力と社会風刺溢れる構図で人気を博した。
試しに、彼の絵画において有名な解釈の一つを取り上げてみる。
ドガはバレリーナを主な題材として選んで描いているが、その淡く美しい色彩で描かれる少女の側には必ずと言っていいほど中年のスーツの男性が佇んでいる。
彼らは一体誰だろうか?
今でこそ花形であるバレリーナだが、当時は労働者階級の仕事とみなされていた。
表現で生活を立てていきたいが、いかんせん駆け出しの表現者は金がない。
いい舞台に出たいがそれには練習が必要、しかし練習していたら働くこともままならない。
若く美しいが、しかしそれだけ。
未熟な彼女たちが満足に生活していく為には、パトロンに見出してもらわねばならなかったのだ。
ドガの絵画で描かれる男性にはパトロンという意味合いが付与されているのである。
ただただ美しい一瞬を切り抜くだけではない、ドガの社会への問題提起が見て取れる。
…と言いたいところだが、本人はそんな意識で描いてはいないのかも知れない。
ここで問題の彫刻作品へ話を戻そう。
エドガー・ドガ唯一の彫刻作品である、『14歳の踊り子』。
これ以降ドガは彫刻作品を発表したことはない。
何故ならば、彼はこの展覧会で大顰蹙を食らったからである。
確かに蜜蝋で象られた少女の表情は虚なようで、正直不気味さすら感じさせる。
批判の原因はその薄気味悪さだけではない。
パトロンが横行していた当時であっても、未成年の女児を裸にさせてポージングを取らせた事実が問題視されたのである。
とはいえ、観客達が感じた生理的な嫌悪感があながち間違いだったとは言えない。
今でこそ薄汚れて劣化した少女の衣装だが、当時は白いチュチュだったらしく、なんとドガの手作りである。
履かされているバレエシューズは本物の少女用を用いる徹底振りである。
蜜蝋で形成された髪の毛には本物の人毛が埋め込まれていた。(この事実は後々蝋が劣化したことによって露呈した。)
彼の性格を考えると、ドガは理想のバレリーナ像を形にしようとしただけなのだろう。
描くだけでは物足りない、触れて愛でることができる自分だけのバレリーナ。
彼が本当に惹かれていたのは少女の持つ可憐さや美しさだけでは決してない。
未だ幼さと未熟さが垣間見える少女が眩い舞台の上で妖精のように舞い踊る、それを舞台脇から品定めする男達の視線。
恐らくその関係性にある種の美学を見出し、歪んだ憧れを持っていたのではないだろうか。
その証拠にと言ってはなんだが、彼は生涯独身だった。
元々内向的で芸術家らしい感性を持つ彼には親しい友人が数人いたらしいが、女性関係はほとんど知られていない。
さらに彼の晩年は暗いものとなる。
後半生の彼は視力を次第に失っていき、一層仕事に打ち込んでいくこととなるが、元々社交的ではなかった彼のアトリエに出入りするのは中年の家政婦のみであったという。
筆を握ることすら難しくなったドガは83歳で人生に幕を下ろすことになる。
敏感すぎる感性ゆえか、なかなか他人にその嗜好を理解されなかったドガ。
そんな彼の残した作品は後世に渡って人々に愛され続け、印象派の巨匠として評価されている。
晩年は暗くとも、その素晴らしい絵画は私達の胸を打ち続けるのだー。
…と、まとめたいのは山々だが、そうは問屋が卸さないのである。
ドガの死後、遺品の整理に訪れた親類はそのアトリエで驚くべきものを目の当たりにする。
薄暗いアトリエに並べられていたのは大量の少女の蜜蝋像。
ポージングや大きさも様々であり、中には世には出せない程大胆なポーズをとったものもあったという。
視力を失いながらも、彼が求めたのはやはり究極の少女。
今度は誰にも邪魔されない、自分だけの少女を黙々と追求していたのだろうか。
女性に触れることすら、声をかけることすらままならなかった彼の幻想は、幾年を重ねても衰えることはなかったのである。
私が彼とプレイするのであれば、彫刻のモデルとしてアトリエへ赴きたい。
寡黙で不器用な彼が出す指示を、なんの面白みもないといった風情で淡々とこなす。
まだ終わらないのかしら…なんて不機嫌そうな態度を隠しもしない幼稚さを持ってして、彼を翻弄したい。
彼が幾度も浴びてきたであろう、芸術のなんたるかなど微塵も理解できない少女の残酷さをそこはかとなく匂わせながら。
ところで、歪んだ時代の産物を内面化して幻想へと昇華させた彼に、女神に自らの汚れた欲望を見破られてしまう恐怖はあるのだろうか。
恐らく、ない。
であれば、従順にポージングしているふりをしつつ、彼を誘惑してしまうのも面白いかもしれない。
彼自身の無能さを、女神の眼前にて露呈させるのである。

「殺し屋イチ」についてドミナが語る
「あれは正しくSMを言語化した漫画だよ。」
ということを何度も言われたが、私はあまり読む気にならなかった。それは一体どうしてか?と言われれば…読んだら最後、その関係に憧れてしまうだろうということがわかっていたからだ。
生死を問われる状況になって、初めて人と関係を結ぶことが出来るなんて、あまりに魅力的ではないだろうか。
私が共感したのは、ヴィランである垣原の持つ被虐のスタンスである。
「痛みは感じるものではなく、考えるもの」だと言い切っているところも面白かった。
垣原が自らに痛みを与えようとする他者と対峙したとき、その相手を恐れるような素振りはまるでない。 むしろ、「恐れさせてくれ!」と懇願しているようである。
垣原の行動や言動に周囲の人間は恐怖し、狂っていると表現する場面が多々ある。しかし、それも彼のスタンスを理解すればいくらか…理解することが出来る気がする。垣原の原理に則るなら、自らが痛みを与える側になるとき、対峙する相手に人格を見出してはいけないだろう。そして、痛みに共感して手を緩めてはいけないだろう。
「痛みは考えるもの」という言葉には、大いに共感する部分がある。
純粋に痛みが好きだと言える嗜好もあるのだろうが、それにはきっと関係性など必要ない。 なんだったら相手も必要ないだろう。 純粋に痛みが好きで、より深い傷跡を望むだけの遊びは、ひとりで楽しむことができる類のものだ。 痛みに痛み以上の価値を感じる為には、必然性と関係性が必要になるのではないか。
必然性とは「その痛みを受ける理由・もしくは受けるに至る流れ」だろう。 関係性はこの必然性に力を与える大きな理由になる。 私たちの共通言語で言うなら、“彼女”に付けられた傷跡に意味があるのである。
これを理解してしまう時点で、私は垣原にとっての「イチ」になることはできないのかもしれないわね。笑
この物語の中で私が理解しにくいのは、主人公である「イチ」である。
イチを見ていて思うのは、なんのロジックも持たない純粋な暴力を行使するとき、幼さは重要な要素であるといえるだろう。 これを人は純粋無垢と表現するのかもしれない。
彼の特筆すべきもうひとつの特徴は、閉ざされた自分だけの世界から相手を見ているという点である。
ているといっても、相手を相手として認めている訳ではない。
自分の過去の記憶にある誰かを当てはめているので、むしろ相手の存在を根本的に否定しているとも言えると思う。 そして、相手と情緒的な関係性を築くことがないからこそ、その歪みに気がつくこともない。
そんなイチがあっけなく他者を殺していく様は心地よくもある。普段の生活で虐げられ、気味悪がられているイチが、必殺の蹴りで相手を淘汰していくシーンは、ヒーローショーのような感覚を抱く。 だからこそ気持ち悪くもあるのだ。
彼は殺した相手のことを振り返ることも、思い出して後悔することもない。 イチの見ている世界は、どこまでも続くヴァーチャルワールドのようなものなのだ。
ラストシーンでの垣原とイチの壮絶な追いかけっこでは、終始正体不明の爺さんが実況するという謎のシチュエーションになる。
その中で垣原のいう必然性が、実際は決定的に安全を脅かさない了解の元でしか成り立たない脆弱なものだということが露呈する。(と、私は汲んだ。)
この必然性にこだわった結果、ものすごい喜劇に変化したような気がする。 私はこの爺さんと呼ばれる人物にも底知れないものを感じるけれど、いちばんドミナに近い思考を持っているのではないかと思っている。
爺さんの本質は面白いものを求めて、自分自身すらも変化させることを厭わない部分だ。 ラストシーンの追いかけっこは、恐らく爺さんが思い浮かべた理想のシチュエーションだったはずだ。
垣原の言う必然性を丁寧に揃えていき、最終的に垣原のスタンスをイチの持つ絶対的な暴力によって全て薙ぎ払う…もしくは無意味なものだったと垣原に思い知らせる、とでも言ったらいいだろうか。
あまりにも情報量が多い作品だったので、上手くまとめられる自信がない。 さて、じゃあ私はこの作品を受けてどう感じた?というところで言えば…純粋に彼らに嫉妬した、が正直な感想である。